学校などの教育現場では「平等である」ことに重きを置きすぎ運動会などでは順位を付けないか、みんなで横になってゴールするなどの行為が見受けられたようですが、それならなぜ他の科目などで点数をつけ順位をつけるのでしょうか?

教育現場で「平等」を追求する際には、しばしば「全員同じ」扱いをすることと混同されがちです。しかし本来、平等には「機会の平等(equal opportunity)」と「結果の平等(equal outcome)」という異なる側面があり、これらをどの場面で重視するかによって教育実践は変わります。運動会では安全性や協働体験を優先し「全員参加・全員達成」を重視する一方、学習評価では個々の習熟度や努力度を測り、進路決定やフィードバックに資するため成績・順位付けを行います。本稿では、なぜこれら二つのアプローチが併存するのかを、「平等」の概念整理と教育現場の目的の違いから論じます。

  1. 「平等」の概念整理

1.1 憲法・教育基本法における平等

日本の教育基本法や教育機会均等法では、「人種・性別・社会的身分・経済的地位にかかわらず等しく教育の機会を提供する」ことを謳っています。しかし、これは「すべての児童生徒に同一の教育を与える」ことを意味せず、「ひとしく、その能力に応じる教育」を施すことを求めるものです。すなわち、個々の背景や発達段階に応じた支援・評価の必要性を認めています。

1.2 機会の平等 vs 結果の平等

  • 機会の平等(Equal Opportunity:誰もが同じスタートラインに立てるように環境や支援を整えること。
  • 結果の平等(Equal Outcome:最終的な達成度や成果をできるだけ均一化すること。

教育現場では「機会の平等」を原則としつつも、場面によって「誰でも結果を出せるように配慮し、努力が報われる仕組み」を設計します。

  1. 運動会における「順位をつけない」実践

2.1 安全性と包摂の優先

近年、多くの学校で「徒競走の順位を発表しない」「ゴールを手をつないで迎える」など、勝敗を重視しない運動会が増えています。その背景には子どもの安全確保や、身体能力に差がある児童同士が互いに励まし合う「包摂的(インクルーシブ)教育」の観点があります。また、団体種目でのケガリスク低減も重要視され、昔の騎馬戦や棒倒しは減少傾向にあります。

2.2 伝聞と実態

「手をつないでゴールする」などの事例は、実際には一部の学校や体験活動に見られるものの、多くはメディア報道や噂を通じた「伝聞」であることも指摘されています。現場によって実践内容は大きく異なり、一律に「順位廃止」が行われているわけではありません。

  1. 学科評価での「順位付け・点数」の意義

3.1 学習到達度の把握とフィードバック

テストや定期考査で点数を付けるのは、個々の学習到達度を客観的に把握し、教員・生徒双方が弱点・強みを確認するためです。学力の診断と改善点の明確化は、さらなる学習意欲の喚起にもつながります。

3.2 進路決定・資格付与のための相対評価

高校・大学進学や各種資格試験では、相対評価(順位や偏差値)が合否や奨学金に直結します。公平な競争環境を保証するためには、一定の基準に基づく客観的評価が欠かせません。

  1. なぜ運動会と学科評価でアプローチが異なるのか
  1. 教育の目的の違い
    • 運動会:協働性や自己肯定感を育む「体験学習」。
    • 学科評価:知識・技能の「習熟度評価」。
  2. 評価基準の明確性
    • 体育種目は測定条件のばらつきが大きく、厳密な比較を行いづらい。
    • 試験問題は出題範囲・時間・採点基準が統一され、比較的客観性を担保しやすい。
  3. 子どもの発達段階への配慮
    まだ発達途中の身体能力より、学習内容の習得度合いを適切に評価することのほうが、生徒一人ひとりの成長支援には有効です。
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  1. 結論:平等の誤解を解く

「平等」とは決して「すべてを画一化する」ことではなく、「個人差を踏まえた適切な支援・評価を行う」ことです。運動会で全員参加を重視するのは体育イベントの性質と子どもの安全・福祉を優先しているためであり、学科評価で順位付けをするのは学習成果の可視化と進路保障のためです。それぞれの目的に応じて「機会の平等」と「成果の平等」を使い分けることこそ、真の教育的公平性を実現する鍵と言えるでしょう。

Posted by 鬼岩正和