「小選挙区制」という多数の意見を重視する”民主主義”と、「比例代表制」という少数意見も重視する”民主主義”とが混在。中選挙区制であれば死票も少なくなり、政党ではなく候補者個人に票を入れることができて合理的
要約
1994年統一会派協議を経て成立した選挙制度改革は、従来の1選挙区3~5名の中選挙区制(SNTV‐MMD)が抱える「買収・地縁・コーエンカイ依存」「候補者中心の選挙」「政党解体」を是正し、①二大政党制の促進、②選挙コスト・腐敗防止、③政党中心選挙の実現を目指しました。しかし、完全な小選挙区制や単純比例代表制では、いずれも自党に有利不利が著しくなる懸念や、小党排除・死票の増大という課題があったため、両制度の長所を取る「小選挙区300+比例代表200」の並立制が妥協案として採用されました。
背景:中選挙区制の問題点
日本は1947年以降、中選挙区制(SNTV‐MMD)を採用し、各区から3~5名を選出してきました。
この方式では、候補者同士が同一党公認候補も含め競合し、有権者は「候補者個人」への支持で投票する傾向が強まり、コーエンカイ(支持者組織)や地元利益供与が横行しました。
また、多数当選を狙うための「買収・贈収賄事件」が繰り返され、政治腐敗の温床ともなっていました。
改革プロセス:合意形成と政党間駆け引き
1993年総選挙で55年体制が崩壊し、非自民連立政権が発足。日本新党の小沢一郎・羽田孜らが選挙制度改革を掲げ、議論が本格化しました。
自民党内にも財務相・羽田孜案の支持者や、小沢グループに対抗する改革派が存在し、一枚岩ではありませんでした。
改革案の議論は与野党で分かれ、野党は小選挙区制による自民優位化を警戒し、比例代表制の拡充を主張しました。
最終的に1994年1月29日、与党(自民・日本新党ほか)と社民・社会が妥協し、「小選挙区300議席+比例代表200議席」という並立制が成立しました。
混合制採用の理由
- 二大政党制の促進と政党中心性
完全小選挙区制は「勝者総取り」傾向が強く、多党乱立の日本政治では“死票”の増大と小党排除が懸念されました。
一方、完全比例代表制では候補者個人の顔が見えにくく、「公党全体の政策」が優先されるため、候補者と有権者の距離が遠くなる恐れがありました。
並立制は「300の小選挙区」での地域代表制と、「200の比例代表」での少数政党救済・死票削減を両立させ、二大政党制への移行を促す折衷案でした。
- 選挙コスト・腐敗防止
中選挙区制下では候補者間競合に伴い選挙費用が肥大化し、企業献金・票買いなど腐敗温床となりました。
並立制導入により小選挙区当選者は個人コストを抑えられ、比例代表は政党が運営する「党費」による候補者支援が可能となり、選挙資金の透明化・抑制が期待されました。
- 政党間の権力バランス調整
自民党は小選挙区制導入で強みを得る一方、野党は完全小選挙区制の一方的導入に反発。比例代表枠を入れることで野党の合意を取り付け、与党・野党の駆け引きを円滑化しました。
結論
中選挙区制への回帰では「候補者優位・腐敗温床」を再生させる懸念があり、また単純小選挙区制や純粋比例代表制だけでは一党優位や有権者の離反を招くリスクがありました。こうしたジレンマを解消し、二大政党制の形成、選挙コスト抑制、死票削減を同時に達成する妥協策として、混合制(小選挙区300+比例代表200)が採用されたのです。